茨城県 北茨城市。
国鉄常磐線磯原駅から伸びていた専用線に沿って、
終点の重内炭鉱までを探検してみる。

磯原駅を出てしばらくは宅地化が進み、面影は残っていない。
諦めかけていたとき、北茨城IC付近に廃線跡が出現する。
線路脇ギリギリに民家が建ち、専用線特有の窮屈感がたまらない。

更に辿っていくとわが目を疑う光景が。
車が激しく往来する道路の片隅に緩やかなカーブを描いたレールが
1本だけ残されているではないか。なぜ?
専用線のレールですよね?とレールに問うてみる。
この付近は炭鉱時代から木皿商店街として商店が軒を連ねている。
商店街の道路にはかつて専用軌道が走っていたのだが、面影はない。

少し進むと開けた場所に出る。雁ノ倉操車場跡である。

この専用線の特徴は、ここ雁ノ倉操車場でスイッチバックするという事。
専用線なのにスイッチバックとはかなり効率が悪そうだが、
地形の制約上やむを得なかったようである。
この操車場には山口炭鉱、雁ノ倉鉱の石炭も集められていた。
更に南側にある茨城無煙炭鉱(中郷六坑)の石炭も
日棚地区への南側エンドレス線が開通する以前は専用のエンドレス線により
こちら側へ集められていた。面影は幅狭の切通しに見受けられる。
常磐炭鉱 中郷鉱(六坑)編はこちら常磐炭鉱 中郷鉱(三坑)編はこちらそれではスイッチバックして重内炭鉱へと歩んでいく。
これより重内炭鉱までの区間では、専用線の残り方がエスカレートする。
廃線跡は低い築堤となり、県道299線と並走する。
築堤には橋梁や踏切跡、更にはレールまでもが残っている。
そしてこの専用線で最も有名(?)な木皿川橋梁が現れる。
ガーター橋の上には犬釘付きで枕木が残っている。
昭和49年の廃止以来、この状態をキープしている。
終点は目前。
そしてついに重内炭鉱の巨大な万石が姿を見せる。

右隣のコンクリート遺構は変電所の跡であり、こちらも巨大。
万石と変電所の間に専用線のヤードが広がっていた。

万石の裏手にはズリ山線の捲座や事務所の基礎が残る。
更に電力を坑口へ送るための電柱があり、坑口の位置を地元の方に聞くも、
すでに第一、二、四斜坑すべて埋め立てられている。
以前は炭住が多く残っていたが訪ねるたびに減っていき
遂にほぼなくなってしまっている。
しかし重内橋付近には重内商店街が残り、賑やかな頃の雰囲気を醸し出している。
重内橋には昭和二十八年一月竣功とある。
明治30年代、茨城採炭が第一坑として開坑。
昭和44年閉山。
常磐炭田には常磐炭鉱以外でも重内炭鉱の様な巨大炭鉱が少なくない。
一時代を築き上げたその姿は炭鉱企業が目指した一つの成功事例だったことであろう。
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- 2012/03/31(土) |
- 炭鉱-茨城
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