東京都 江東区越中島貨物駅から中央区晴海へ駆け抜ける廃線跡。
かつてこの地に専用線網を持っていた表題のものである。
今はもう使われていない事を説明するかのように
現役の線路からコンクリートブロックにより完全に分断されている。
草が茂る廃線跡地には赤錆た線路が敷かれたままになっているが、
それもすぐに消え去り、一目では廃線跡地と解らなくなってしまう。
駐車場に変身した廃線跡は緩やかにカーブを描いている。
よく見れば廃線跡に見えなくもないと言ったところか。
豊洲運河を渡る鉄橋は既に記憶の彼方だか、
それを支えた橋脚が辛うじて残る。
その間隔の長さから単調なガーターではない事がわかる。
船舶の往来を考慮しての事だろう。
タワーマンションが林立する豊洲駅周辺は、
線路は愚か、跡地の線形さえ見る影もない。
現役時代を知る人でさえ痕跡を探す事は容易でないだろう。
ここまでは深川線、ここからは晴海線が分岐する。
現役時代を知らない人から見ても明らかな鉄道跡が
近代的なビルの狭間に堂々と残されている。

下路式ローゼ桁の造りを持つ晴海橋である。
何故残されたのか、さっぱり解らないが
誰かに残す意思がなければ今日まで残る筈がない。

近くに保存されているNo.2ドック同様に
ライトアップでもされていれば更に安心出来るのだが…。

潮風にさらされて、赤錆が浮き上がっている。
前後をコンクリート橋にした理由は潮風対策か。

美しい形状を目一杯、運河に横たわらせながら
ものすごいスピードで変化する周囲の景観を傍観しているかの様。
左写真:2006年 右写真:2013年
現役時代なら遠くからでも目立った筈の橋梁だが、
今ではビルの森に埋もれ、
200m程度まで近寄らないと姿が分からない。
終点の晴海埠頭は一部空き地を残して、
例外なくビル群に生まれ変わっている。
のどかな貨物線の風景は忘却の彼方と言った所。
昭和32年から平成元年の運行であった。

変わりゆく時代の波に乗る事が出来なければ
貨物線は効率が悪いと見なされ淘汰されてゆく。
だが、一時代を支えた彼らが存在したからこそ
現在の豊かな街並みがある。
この橋が歩道に活用されれば
間違いなくこの街のシンボルになるであろう。
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- 2013/11/30(土) |
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