北海道 苫前郡 羽幌町。
羽幌炭礦鉄道は国鉄 羽幌線 築別駅から分岐した、
その名の通り、炭鉱から産出された石炭運搬の為に敷設された鉄道である。
それ故てっきり鉄道を運営するのは炭鉱なのか思いきや
築別、羽幌、上羽幌炭鉱を最終的に経営したのは羽幌炭礦鉄道であり、
逆に、鉄道会社が炭鉱を経営する形となっている。
炭鉱の為の鉄道であり、鉄道の為の炭鉱でもあるのだ。
築別駅を出ると東にカーブを切り、炭鉱ひしめく山側へと一直線。
今となっては国鉄羽幌線も廃線と化してしまっており、
ただただ広い空き地がかつてのジャンクションの面影。

この鉄道は大戦開戦直後の昭和15年に建設されている。
物資の不足する中、有り合わせの中古材料で鉄橋が造られており、
この鉄道の大きな特徴ともなっている。

こちら第二築別川橋梁では、異なる高さのガーターを載せる為に
わざわざ橋脚の頂部が段違いに製作されている。
左のガーターには、「羽幌炭礦鉄道 1966-10」と書かれた丸い銘板が。
まさか、このガーターだけは後から新造されたとか?

高さだけではない、幅までもチグハグしている。
枕木が載れば気にはならないだろうが。
保線作業員の退避スペースは当然ながらない。

一方こちらの第三築別川橋梁では桁長の異なるガーターに合わせて
バラバラの間隔で橋脚が立っている。
もしガーター部分が残されていなかったとしたら理解に苦しんだかもしれない…。

しかも橋脚自体が高さも形状もバラバラ。
図面などない、現物合わせの突貫工事がなせる
多種多様なチグハグさに自然と笑みがこぼれる。
余程、石炭の供給が切迫詰まっていたのだろう。

コンクリートの節約かはたまた予定のガーターが調達できなかったのか
橋脚とガーターの間に出来てしまった隙間を古レールにより埋めている。

古レールには、八幡製鉄所が設立された1901年以降である
「1913」の年号が刻まれており、初期の国産レールと思われる。
一体全体どこから拝借したものなのか。

曙駅は広い構内を持つ分岐点。
東側に分岐す線路跡は引き続き羽幌炭礦鉄道であり、築別炭鉱まで伸びている。
南側に分岐する線路跡は羽幌鉱がある三毛別(さんけべつ)まで伸びている。
曙-三毛別駅間では国鉄名羽線の未成線を羽幌炭礦鉄道が借りて運行する
「国鉄非営業線運送」という珍しい形態での石炭輸送が行われていた。
羽幌炭鉱鉄道 羽幌本鉱 石炭積込施設編はこちら羽幌炭鉱鉄道 羽幌本鉱 立坑編はこちら羽幌炭礦鉄道 羽幌本鉱 坑口編はこちら
未だに道路標識に登場する築別炭鉱の文字に感動しながら曙駅より北東へ進む。
曙駅を出た羽幌炭礦鉄道には、若干の変化が現れる。

チグハグな鉄橋ばかりであった西側に対して
本来の、規格の整ったガーター橋ばかりとなっている。

しかも、頑丈そうなコンクリート製の橋梁まで採用されているのだ。
ひょっとすると国鉄名羽線と重なる部分は
いつか国鉄が大々的に建設を始めることを見越して、
あまり費用をかけたくなかったのではないだろうか?

頑丈なコンクリート橋梁も、廃線から40年以上も経てば御覧の通り。
重い石炭列車に耐えてきた苦労がにじみ出ているようだ…。

終点、築別炭鉱にも巨大なホッパーが未だに残されている。
当時の喧騒は望郷の彼方である…。
羽幌炭鉱鉄道 築別炭鉱編はこちらところで羽幌炭礦鉄道は
従業員やその家族を輸送する重要な役割も担っていた。
国鉄羽幌線 築別-羽幌駅間に乗り入れる関係から、
昭和35年に国鉄キハ22と同型の気動車を購入し運行を行っている。
昭和45年の路線廃止後には茨城県を走る、ひたちなか海浜鉄道に活躍の場を移し、
なんと、3輌のうちの1輌が今もなお現役で活躍している。
写真は羽幌炭礦鉄道色のまま阿字ヶ浦駅に留置されていたキハ221(撤去済)。
部品取りに使用される車輌の存在が、
旧型気動車の維持管理がいかに困難であるかを教えてくれる。
ひたちなか海浜鉄道 キハ222はこちら物資の少ない戦時中の突貫工事であり、
なるべく費用を抑えようとユニークな工夫が垣間見られる羽幌炭礦鉄道。
国鉄と同型の気動車の新造、そして乗り入れ。
他の廃線とは違い、極端な繁栄期を迎える分、
廃線になってからの寂しさは、一段と大きく我が胸に響く…。
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- 2013/09/03(火) |
- 炭鉱-北海道
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